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suisuisuizoo

プラバンアクセサリーづくりと、日常の様子をせっせと。

人が言う(1:1:1)

「きっと、なんの苦労もなく順風満帆で華やかな人生だったんじゃないんですか、本当に。わたしなんて。。。」

「やばいよ。もっと本気になんなきゃ」

どちらも同じ私にかけられたもの。

言われた瞬間は色々な感情が心をかき乱した。

そうそうなんの苦労もないですよと明るく流せるほど、ぐるぐるとした寂しい悩みの渦から抜け出てはいなかったし、本気にならねばならぬ理由が腹まで納得していなかった。

しばらくと言っても、1年以上、数ヶ月その言葉の意味と、距離のとり方を考えてみて落ち着いたところは、どちらも真理じゃないということだった。

言葉をかけてくれた彼女たちの目線、つまりは価値観を通して見た私はその言葉そのものなのだけど、わたしがそうじゃない、それは本当のわたしじゃないと思ったら、それはその通りでもあって、どっちも同じぐらいの信ぴょう性しかないんじゃないかしらというところに落ち着きました。

1:1:1

0.3333…

 

また、これを読み返してみると、なんだか頑固な感じがしますね。

人の話を聞く時に、初めて会う人や二度目に会う人なんかは

全幅の信頼を置いて、話をできないものな。(特にこれから長いお付き合いが始まるという場合は顕著に。)

全幅の信頼を置くというか、恐れない、こう言われるんじゃないか、言われないんじゃないか様々な憶測、過去の記憶、なんか怖そうなどの非言語的な信号が

自分の全存在をかけて言葉に反応できなくしているからこうやって数ヶ月も時間を要するのでしょう。

ここに至るまでに時間がかかりすぎなのは確か。

100%のうちの何十%はどこかに置き去りにしてしまわないように、常に100%で臨みたいものだ。