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suisuisuizoo

プラバンアクセサリーづくりと、日常の様子をせっせと。

余白の色はまっしろ。

時間が私を追い越しそうになりまして、

わたしのおしりをぺんぺん叩く。痛いっす。

久しぶりに時間にケツを叩かれる感覚。

おしりのあざがうずいた。

 

秋の風をきって、仕事場に急ぐ時、

頭のなかに明朝体で「余白」の文字が迫ってきた。

まっしろい部屋に黒い明朝体の「余白」がある。

時間は7時58分。間に合う。

しかし、引き続き急がねばならない。

 

走りながら考える。

同じ時間のなかに、できるだけ詰め込んで詰め込んで、

得られるものもあるけれど、「なんにもない」がない。

余白のなさについて、どう思ってるのよと余白が聞いてきた気がした。

 

さらに考えた。

たぶん、それはだめだと思う。

余白のなさは致命的だと思う。

何かが生み出す結果や経験よりも、

余白のなさで失われるものの方が何倍も困ると思う。

 

不安だから、余白を埋めたくなる。

埋めたら、なんだか一瞬満たされる気がする。

でもそれは虚構だ。

でもでも、余白を活かすこと、余白を絶妙に保ちつづけることは、

どうやったらいいのかわからない。

わからないけど、余白の存在がとっても大事な気はする。

雑誌の余白は何も書かれていないけど、

書かれていないのに、誌面全体がとってもいい感じになる。

手の込んだ料理は、大きなお皿にちょこんとおいしそうにすましてやってくる。

そういう余白は豊かさのヒントなんだと思う。

目に見える余白も大事だけれど、時間や心の余白も欲しい。

 

でも、そのためには、詰め込む時間、詰め込むことというのはきっと大事だ。

フランス料理も、雑誌も、余白と相対して、存在しているものは、

手間がかかっているもの。

 

わかっちゃいるけど、できないのが現実でござる。

今日、わたしは休みなんであるよ。